昭和7年生まれの両親の元、姉に3年遅れて世に誕生。(詳しく覚えてないですが、4000g以上で生まれたようです)
商店街にある婦人服屋を父親の兄(叔父)が営んでおり、その店舗の隣にベビー服に特化した店舗を父親と母親が営んでいたようですがその頃の記憶はほとんどないんです。(汗)
幼稚園はキリスト教関係の幼稚園に通っていましたが特にキリシタンというわけではありません。(どちらかというと無宗教)
で、その年長組の時にキリスト生誕の物語を劇で演じるのですが、父親もその幼稚園出身でその劇を演じたことがあるようで、親子で全く同じ役を演じることに何か運命のような絆のようなものを感じたことを覚えています。(演じた役はキリストというかマリアの父親役?で、3賢者を迎えてもてなすシーンとかが記憶にあります。)
このころからいじられキャラというかいじめられやすいというか、なんとなくボッチな幼稚園時代でした。でも登園拒否とかしなかったなぁ。
小学校はとにかく生徒が多かったです。6学年で2000人を超えてました。
6年生の時は放送部員のカメラマン(当時としては先進的なTV放送のための放送室があり、給食の際いろいろ放送してました)をすることに。
この頃から漠然と理系に進んだら面白いかもって思い始めたかな。とにかく面白い部活動でした。給食時に放送するため部員は給食を放送室で食べていた記憶があります。放送開始までは普通のテレビ見て時間潰してました。
小学校時代の大きな出来事といえば、両親が営むお店が業態変更したことです。それまでは隣の婦人服店舗と直結のドアがあったのですが、全く違う業態に転向したためドアも閉鎖。ま、店の奥では隣と往来できていたのであまり変化というほどではないんですが。
その業態の関係であるレジャー施設のポスターのモデルを姉と共に務めたこともあります。(残っていたらみてみたい)
この頃は町内の同年代の子供からもクラスのいじめっ子からもいじめられていました。今ほどひどい事はされていませんが精神的にきつかったのは覚えています。言葉でのいじめがほとんどでしたがそれがじんわり痛めつけられるなあって子供心に思ったのを覚えています。
中学校は、その小学校から歩いてすぐの場所にあったので歩いての登校が続きます。その頃はあまり報道などされなかったバスケットボールに興味があり、三年間(というか引退するまでの二年とちょっと)はほぼ毎日バスケットボールしてました。マラソン大会も小学校の時に比べればかなりいい成績を取れるようになりましたが、もともと走るのが遅いためレギュラーにはなれなかったです。あの頃に仲間に会ってみたい今日この頃。